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「傾向に傾倒するな、傾聴せよ」

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世の中にはたくさんの傾向というものがあります。

例えばジャンケンをする時、テンポよく無意識的に進めると、なぜか人は「グー」→「チョキ」→「パー」(→「グー」)というサイクルに陥る"傾向"があります。
また、 “字が汚い人にはだらしない人が多い” というものや “関西人は主張が強いことが多い” などなど、実に様々な傾向が世の中にはあります。

しかし、ここで気をつけたいのが、傾向は傾向に過ぎないということです。決して決めつけてはなりません。ジャンケンの例で言えば100%勝てるという保証はないですし、人の傾向の話で言えば “字が汚い人=だらしない” というものでもなければ “関西人は主張が強い”とも限らないということです。

ここまでは何を今さら言っているんだというような内容だったかもしれません。しかし、次のような事例は身近なところでも起こってはいないでしょうか?


「あいつは寝坊の多いやつだから今日の遅刻も寝坊が原因だろ。」
「あの人は犯罪歴があるんだって、だから近づいちゃいけないよ。」

たしかに、寝坊癖のある人はどれだけアラームをかけても起きられないときは起きられないし、犯罪者の中には再犯を繰り返す人も一定数はいるでしょう。しかし、寝坊癖のある人が「駅でおばあちゃんのお手伝いをしていて遅れました」というのを嘘だと決めつけたり、犯罪歴があるということは何かしら人間として間違っていると思い込んだりするのは、誤りだと私は思います。

実際におばあちゃんを手助けしていたかもしれないですし、犯罪は冤罪だったかもしれません。
傾向に囚われて=「傾向に傾倒して」真実を見失ったり、人を信用することができなくなるのは愚か、というより、純粋にもったいない気がします。

「傾向は傾向に過ぎない」と思うことができればもっと物事が客観的に見え、その結果、自分自身が得をすることが多くなるのではないでしょうか?
傾向という先入観で誤った認識をしてしまうよりも、フラットに物事を捉えて事実だけをしっかりとものにできた方が、誤解から生まれる損もそれだけ減ると思います。

ここで、もうひとつ付け加えておきたいのが、「嘘は厳禁」ということです。嘘をつかれれば先入観のないものの見方をする人ですら真実を知ることができなくなってしまうからです。その結果、人間不信や疑心暗鬼に陥り、自分の経験則、すなわち “傾向” をもとに判断してしまうのです。

“嘘”と“思い込み”のないコミュニケーションこそが我々の暮らしをより豊かにすると私は確信しています。


ただ、ここまで述べてきた内容とは一見、相反することを言ってるように聞こえるかもしれませんが、傾向というものを活用できないのもまたもったいないものです。

「はじめての競馬、どうやらこのコースと距離ではあの馬がよく勝っているらしい」
「冬の雨の日はカイロが売れるらしく、傘などの横に置くと効果的であるようだ」

こうした傾向は実際にあることで、これを疑った結果、得をできたはずのところを何も得られずに終わってしまえば損した気持ちになります。

傾向をないものとして無視するのではなく、「傾向に傾聴する」ことで、より良い選択ができる確率をあげるのもまた、人生を豊かにするひとつの秘訣だと私は思っています。


傾向を鵜呑みすることなく傾向を上手に活用する、これが人生を豊かに、そして、社会を健全に保つ秘訣の一つだと私は思うのです。

「傾向に傾倒するな、傾聴せよ」

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