2018/04/01 ブログのテーマをcocoonに変更しました。

センスと言うものの培われ方

どうも!オサダです!定期記事なので少し真面目な話をしましょう。

 

本日は自分に対する戒めとして、『センス』について語りたいと思います!誰もが、出来る事なら持ちたいものですよね。僕もですよ。

 

 

初めに

皆さんはセンスと聞くと、どのような印象を持ちますか?

直訳は『感覚』ですが、意訳的には『才能』とか、そういった言葉が当てはまるのではないでしょうか。

では、その才能というものは、先天的か後天的か。つまり生まれ持ってのものかどうか、と聞かれたらどちらだと感じるでしょう?

「あいつは才能があるなぁ。」

「あいつはセンスがあるなぁ。」

答えはどちらも当てはまる、な気がしますね。(笑)

どちらかと言えば、『才能』と言うものは生まれ持ってのもののような、身長や体格、筋肉の質などがそれに当たるのではないでしょうか。

そして『センス』。こちらは芸術性や色彩・音色感覚などの感覚的なもの、言わば『様々な経験により培われる』後天的なもののような感じがしませんか?

 

上記のように、いわゆる感覚的に言うと、才能とセンスは別物だと僕は考えます。そして才能と違ってセンスは、あとから身に付けることが出来るものだと思っています。

 

センスとは……

では、後天的な才能である『センス』。どのように培われるのでしょうか。

 

上にも記したように、センスは芸術性や感覚的なもの。言い換えると『右脳』的なものと言えるでしょう。

一般的に、左脳は論理的思考。右脳は感覚的思考であると言われます。つまり、右脳を鍛えることが、センスを培うことにつながるわけですね……。

 

ということで皆さん、右脳を鍛えましょう!!

 

 

 

なんてことではもちろん終わりませんよ。ここからは僕の想像と論理でお話ししたいと思います。

 

右脳・左脳と分けられているとは言え、脳とは一つの臓器です。それぞれが完全に独立して動いているとは考えにくいですよね。

左脳で論理的に考えたものを右脳に渡し、右脳で感覚的に考えたことを左脳に渡す……。こういった動きを繰り返して、一つの思考を行っていると考えられます。

これは例えるなら、何か新しいものを作り出す時に『理想』(実際に作りたいと考えている完成形)『現実』(その過程で不可能だと考えられること)を反復して考え、やがて『完成』へと導くという、世間一般的に行われているであろう行為と似ていると思います。

 

「こういうものを作りたい。実現できるだろうか?」
————「しかし、あまりにも現実的に不可能な部分がある。その部分の代替案は○○と△△。」
「○○なら理想からあまり離れない。それで行こう。」
————「こっちの部分はどうだ。□□よりも☆☆の方が受け入れられるだろう。」
「確かにそうかもしれない。けれど□□は譲れないぞ。」

 

こんなやり取りが、世間ではなされているのではないでしょうか。これを脳内の右脳と左脳で行うイメージ。これにより、思考の内容をより良いものへとブラッシュアップしていくのだと思います。

そして上記のようなやり取りを脳内でできる人は、いわゆる『センスのある人』であると思います。

しかしこれ、簡単ではないんですね。

 

例えば……

絵に詳しくない人が絵を描く時に、どんな思考回路が巡るか考えてみましょう。

 

「よーし。この絵の模写をしてみようかなー。」
————「ふーん。いいんじゃね?」
「ここの色は……、んー?なんだこれ分からん。どの色使えばいいんだ?」
————「知らねぇよ。俺に聞くなそんなもん。」
「マジか。どうしよ、行き詰った。やーめた。」ポイッ

 

はい。これ、一時期の僕です。左脳側の知識がないと、「こうやりたい。」と言う『理想』に対して、答えを出せなくなってしまいます。そして完成を迎えることなく逃避してしまう……。

このような経験、皆さんにもありますかね?

ではこれを、簡単な絵を少し練習した後の僕がやると……。

 

「よーし。今日はこの写真の模写をしてみようかなー。」
————「今の俺じゃ無理だよ。もう少し簡単な奴にしな。」
「それもそうか。じゃぁこっち。ここの色は……。」
————「たぶんそっちだと色が濃いぞ。たぶんだけど……、いいのか?」
「いや、これを薄く下地にしてから行くから大丈夫。自信ないけどチャレンジだ。」

 

どうでしょう?少し有意義な話し合いになってそうですよね。これが少しセンスの培われた状態だと考えます。

そして最終的には……(言うならば僕の『理想』です)

 

「あー。暇だ。この景色をデッサンするか。まずは構図をパパ―っと。ほい。」
————「……。(文句ねぇな。)」
「これはこうで、こう。」
————「……。(そこはこうした方が色味が噛み合うんじゃないなぁ。)なぁ、そこtt」
「んー。こうした方が綺麗だな。よっし。完璧。」

 

とうとう左脳は、まともに発言をしません。言わば右脳は、論理的な左脳が言うであろうことを先読みし、完成へと導いているのです。

これが僕の考える『センス』の形なんです。どうでしょう。しっくりきます?

 

つまりどういうこと?

はい。例え話しかしてなかったので、まとめとして実際に言葉にしていきましょう。

 

第一に、センスとは『様々な経験によって培われるもの』であると言うこと。

経験とは、『見る・聞く・触る・嗅ぐ・味わう』の五感を、また『話す・書く・作る・動かす』などの実践に当たる動作を、その対象に向けて行うことです。

絵画だったら、『見る・聞く』そして『描く』。
料理だったら、『嗅ぐ・味わう』そして『作る』。
プレゼンだったら、『聞く』そして『話す』。

パッシブ(受動)的な五感と、アクティブ(能動)的な動作。これらは経験と言う形でその人の体と頭に蓄積されます。

その結果、
何かを作る時、すぐにアイディアが浮かんだり。
スポーツの最中、咄嗟の判断を間違えなかったり。
同じ行動をする中でも、ちょっとしたアレンジを加えることが出来たり。

様々な形で、経験は『センス』として、生活の中に現れてきます。経験が無ければ『センス』など生まれない、と言っても過言ではないと思います。こちらが右脳的思考です。

 

第二に、センスには経験の他に『知識が必要である』と言うこと。

例えば、「この絵のこの部分、赤に見えてるけど実はオレンジなのかー。」なんてことがあったとします。

それを再現する時、『なぜそうなっていたのか』と言う知識が必ず必要になります。

「これがこう見えるのは、こういう理由があるから。」
「この現象が起きるのは、こうなってしまったから。」

もちろん、経験からそれを理解する例も少なくありませんが、経験だけを頼りにすると、やはりセンスにはなり得ないのです。こちらが左脳的思考に当たります。

 

上で述べたように、思考と言うのは右脳と左脳のやり取り。どちらも鍛えることで『センス』が培われると言うのが、僕の今回の結論になります。

 

 

しかし、こうして言葉に並べた時に、「センスを得るための『経験』も『知識』も、培うためには途方もない時間が必要である。」という事実が存在することに気付くと思います。

途方もない時間……。それが数か月か数年か、数十年かは分かりません。皆さんが「この人、センスあるなぁ。」と感じる人は、その途方もない時間をその対象に捧げてきたということになります。

それでも、「僕には無理だ。」と落ち込まないで欲しいのです。

なぜなら、「この人、センスがあるなぁ。」と言う思考は、『少なからずセンスが芽生えている証』であると捉えていいと思っているからです。

経験や知識を積んでいない人は、その人のセンスを正しく理解出来ません。積んできた時間があるからこそ、その人のセンスを感じ、絶望を感じてしまうのです。

 

でも、経験と知識は無限大。あなたの可能性を見捨てるには、まだ早いのではないでしょうか。

 

最後に

こちらの記事をご覧ください。

設計出題プログラムを使って設計してみた ~住宅1コンセプト決定編~
少し前に紹介させていただきました、僕が作成した『短期設計出題プログラム』 機能としては欠陥まみれですが、今回それを使って、実際に設計を作ってみることにしました。 正直設計に関しては、何と言いますか、センスがないので、あまり人様に...

一番初めに僕、言い切っているんですよね。「センスがない」って……。(笑)

この時はたぶん、諦めていました。けど頑張ってみようかなぁ。

『努力する才能』がないなら、『努力するセンス』を身に付けてやろうじゃないかと思いました。今日の記事は自己啓発な感じですね。

 

皆様の心に、何かが残れば儲けもんですよ。

長々とありがとうございました。

 

ところで僕、アリイズミに「同じ言葉繰り返し使いすぎじゃね?」って言ったことがあるんですよ。確か。

今回の僕、人のこと言えない……。恥ずかしい!!!!

 

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オサダ

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