2018/04/01 ブログのテーマをcocoonに変更しました。

何かに打ち込むこと

ある日の夜、眠れずいろいろと考えてしまったので、内容もオチも考えずに、思ってることを書いてみることにした。

 

憂鬱なテンションで書くため、読む人のテンションも下げてしまうかもしれませんが、ご容赦頂けたらと思います。

ほとんど日記のような記事になるかな?たまには書いてる人の心の内を見ることが出来る記事でもいいんじゃないかと。

 

 

仕事。趣味。夢。などなど。何かに打ち込むことが出来る人はたくさんいる。

俺がそれに当てはまるかと言われれば、そうじゃない。今まで打ち込んできたものと言えば、高校まで続けたサッカーや今でもやっているベースだろうか。でもそれも打ち込んでいたのは、小学生の頃までだったり、高校の頃までだったり。

『何かに打ち込む』『夢中になれる』って言うのは、さりげなく普段から俺が言っている『努力出来ることは才能だ』と同種だと思う。

 

身内自慢のようになるけれど、メンバーの3人には、そういった力がある。才能がある。

コンパスの計画を持ち出して、夢を追うアリイズミ。ブログを形作り、日々プログラミングの力を付けていくオーカワ。読書などの趣味から、自分の興味のあるものを吸収するスドー。

では俺には?明確なものが何一つ無いのが現状だろうな。

夢を語るほどの理想も、何かに特化するほどの集中力も、知識を広げる興味も。

 

一つの事柄には無限と言ってもいいほどの情報や、関わっている人がいる。

何かの事柄の一部に触れると、その存在を否が応でも感じてしまう。

サッカーをしていた頃の例で言えば、チームには自分より上手い選手がいる。そいつよりも上手い選手もゴロゴロといる。そしてプロのサッカー選手がいる。

プロと一括りにした中には日本の代表の選手がいたり、セリエAの名選手がいたり。文字通り自分の上位互換は五万と居る訳だ。

知識や情報と言ったものを例えるなら、本が分かり易いだろう。何かを手に取り読書を知る。しかし本の世界には小説があり、エッセイがあり、ノンフィクションがあり、純文学があり……と、自分の語彙力では言い切れないほどのジャンルがある。

そしてそのジャンル一つ一つに、多量の本が存在している。そして今も当然増え続けている。

 

手早く言うなら、俺はその情報や人に溢れ返った世界に飛び込むのが嫌なんだろうと思う。自分の力の無さを痛感してしまうから。自分の立つ場所が無いことに気付いてしまうから。

『上には上がいる』。そうなんだよ。自分が頂上に立つ姿なんて想像も出来ない。そしてそれが現実になることも、まずないだろう。

俺は多趣味で通っている感じがある。けどこれはきっと、何度も上を見て、何度も逃げてきた結果なんだと思う。何かと理由をつけて。

言い訳と逃げは得意なんだろうな。何度も繰り返してきたから。こればかりは経験の賜物だろうかな。何の役に立つかは知らないが。

 

『自分』という存在の価値を証明することはとても難しいと思う。

陸上で世界新記録でも出したら「俺はこの時のために生まれたんだ。」なんて思ってみても、それは当然だと思う。日々の努力で自分の価値を証明したんだ。

お手軽なもので言うと、近しい人に必要とされるだけで、それは存在の価値に充分になり得るんだと思う。

でも、俺の中でそれが証明になるかと言ったら、多分そうじゃない。

別に近しい人に必要とされるのなんてどうでもいいと言っているわけではないんだ。

多分、たくさんの人に認められたいと思っているんだ。どれほど強い承認欲求なんだろうか。

そのためには、何かで頂点を取るような偉業が必要だ。と、頭の中にインプットでもされてるんじゃないか?

そしてそれに一番近い所を、一番近い近道を探してるんじゃないか?だからこそ新しそうなものには興味があったり、いろんな事柄をつついてみるのか。

この何十億も人が生きている世の中で、そんなこと限りなく不可能に近いのに。

かと言って、江戸時代なら何かを成し遂げたか?室町なら、縄文なら?

残念ながら、どの時代まで遡っても不可能だろう。俺はそういう器ではない。結構前から分かっているが、自分に突きつけるのは初めてだ。

 

じゃぁどうする。

 

気付くべきなんだ。どんなに溢れ返った世界の中でも自分の価値を証明してる人がたくさんいること。例え日の目を見なくても、情報や人に溺れても自分の価値を見出している人がたくさんいること。

何かに打ち込んでいる人が、たくさんいること。それを、改めて。

人間が想像出来ることは何でも実現可能だと言われている。俺は自分が何かの頂点にいる姿を、残念ながら想像出来ない。

ならば頂点じゃないどこかで、自分の価値を証明するしかないんだ。人で溢れていても、その溢れ返る人々は、それぞれが『人』なんだ。

俺の理論で言ったら、その人達全員に価値が無くなる。そんな事は思ったことが無い。

なら、俺にも価値はあるはずなんだよ。どんな世界かは分からないけれど。

 

夢や理想。好きなこと。やりたいこと。俺にはこういうものもないんだ。『ダラダラ過ごしたい』くらいかな?

「それを見付けたら頑張れると思う。」って、話したことがあるんだ。そうしたら「やるべき事をやり続けた先に見付かるものなんじゃない?」と言われた。

なるほど。面倒なことから逃げてたら、その先で待ってるはずの何かに出会うチャンスを無くしているのかって、すごく納得させられたんだ。

あれから、そんなに変われてない自分にはやっぱり辟易するし、失望もするけど、いい加減逃げる癖を外さないとな。そろそろ本当に誰からも必要とされない存在になる。

 

逃げないって難しいんだろうな。大変な道だと思う。

でも、それを出来る人がいる以上、俺に出来ない理由は無い。

結局、周りに人が居るから分かることなんだ。やっぱり自分と出会う人は、自分に何かを与えてくれる人だと思うのが一番いいじゃないか。

上を見上げて見える努力と才能の結果は、妬みの的じゃなくて、道しるべなんだろう。

隣で登る誰かは敵対すべき対象、自分の位置を相対的に示してくれる旗みたいなもんだろう。

 

なんだ。考え方一つでここまで心持ちが変わるのか。

あんまり大それたことを言うのは好きじゃないけれど、人生って素晴らしいんだろうな。

今、ドン底みたいな所に居る俺が言うんだから間違いないと思うよ。

まぁこれも周りを見て決めたドン底だから、「お前より圧倒的にしんどいわボケナスが!!」って思う人が居たらごめんなさい。

頑張ってみるよ。打ち込む何かがきっとあるんだ。

もう少し時間を下さい。

 

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オサダ

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