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他人の心に寄り添う・心を覗くことの難しさ

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さて、今回は随分と胡散臭いタイトルでお送りいたします。

ある時、僕の大好きなBUMP OF CHICKENの曲を聴いていると、こんな歌詞が……。

どうやったって無理なんだ 知らない記憶を知ることは
言葉で伝えても 伝わったのは言葉だけ

BUMP OF CHICKEN『宇宙飛行士への手紙』より

僕の個人企画『心に留める』の記事を書き始めてから、言葉というものにいろいろな形で向き合ってきました。

言葉の力でできないことはたくさんあります。その中の一つがこれだと思いました。

自分の記憶や感情を相手に伝える。

今日はこれについて語っていきましょうか。


皆さんも誰か親しい人に、自分の思いを伝えたことがありますよね。

怒り・喜び・悲しみなどなど。または体験や状況の伝聞

その時、何%相手に伝わったでしょうか。

これこそ歌詞にある通り、伝わったのは言葉だけなのです。

例えば「山を見たよ。」というシンプルなものだったらほとんど100%伝わるのかもしれません。

しかしそれが「山の木々が紅葉していたよ。」と言ったものだとどうでしょう。紅葉と言っても赤もあれば黄色もあり、その中間色。あるいはもっと緑色かもしれません。

もしかしたら100%同じイメージを持つ人もいるかもしれませんが、ほとんどの人はイメージと食い違うでしょう。

さぁこれが感情だとどうなるか。「すごく楽しかった。」という言葉一つ取っても、その人の『すごく』がどの程度なのか。さらに言えば『楽しい』という感情(他の感情もそうですが)のベクトルは、人によってほんの少しだけズレていると僕は考えています。

楽しい・面白いの境界なんて、人によって様々ですよね。感情ってそれほど複雑なんだと思います。記憶よりもさらに伝わりにくいことになりますね。

記憶や感情を伝えることの難しさはイメージできたでしょうか?


それでは、こんなやり取りを聞いたことありませんか。

A「なんで分かってくれないの!?」
B「言ってくれなきゃ分かんないよ!」
A「言わなくても伝わるでしょ!」

カップルのケンカによくありそうな台詞ですね。

伝えることを疎かにしたAと、相手の意図を汲み取ろうとしなかったB。どちらが悪いか、なんて所は論点ではないですが、皆さんいろいろ思うところがあるのではないでしょうか。

人は『他人に理解して欲しい』生き物です。認めてほしいと言う承認欲求になりますね。そのため互いの理解が及ばないとこのようなケンカが勃発してしまいますね。おそらく世界中の至る所で起きていることでしょう。

「あの時伝えておけば……。」「あの時ちゃんと聞いてあげていたら……。」なんて思っているかもしれませんね。

と、実はここで伝えたいのは、『言ったところで伝わりきらない』と言うネガティブな可能性なんです。今は「?」となりながら読み進めて頂いて大丈夫ですよ。


話は少し変わります。ここで『言葉が通じない相手』を想像してみてください。「なんだよ。こいつ分かってないなぁ。」とかそういうのじゃないですよ?

結婚されてる方の方がイメージしやすそうですかね。

そう、それは

赤ちゃんです。

生まれて間もない赤ちゃんは、言葉を持ちません。それでもその赤ちゃんの思考を読み取ることは不可能ではないですよね?

感情が未発達であるので、そこまで多くの分類はありませんが、長く接するときっと『何を求めているのか』『何が不快なのか』が何となく見えてくるのだと思います。(もちろん僕は子育て未経験であるので、「そんな簡単じゃないわ!」と思われた方、申し訳ございません。)

重要なのは、『喋ることが出来ない赤ちゃんに対して、思考を読み取る努力をしている』と言うことです。

赤ちゃんだけでなく、外国人にも同じことが言えますね。(もちろん言葉が通じない前提です。)

言葉が通じない時、人はジェスチャーなどを巧みに使い、相手に自分の意図を伝えようと、または相手の意図を汲み取ろうとします。

これも『言葉が通じない人に対しての、思考を汲み取る努力に他なりませんね。

つまり、もしもこれらを突き詰めることが出来れば、「言わなくても伝わるでしょ!」が成立することになりますね。


しかしながら、言葉を持った人々は『言葉』に頼るあまり、『言葉にせずとも相手の思考や意図を汲み取る能力』を失っていくのだと思っています。

では、感情や意見の齟齬が発生しないためにはどうすればいいのか。それは『やはり言葉で伝えるしかない』のです。

そこで先程のネガティブな可能性、『言ったところで伝わらない』が顔を出します。

我々が頼り切りになっている『言葉』は万能ではありません。

先で話した通り、言葉で伝えるという事象には限界があります。100%意図した通りに伝わることはなかなか無いでしょう。こと、感情においては特に。

そのため、人と人とが交わる時、少なからずお互いの気持ちや意図にズレが生じるわけです。

それでも互いの理解のためには、言葉を発信するしか手段が無い。互いが共通の言語を理解していれば、思いを『言葉』として相手に送ることができます。

それを受け取る側は、その言葉の意味するところを探し当てる努力をするべきだ、と僕は考えています。

送る側も同様に、相手に理解してもらうための言葉を選ぶ努力が必要になるわけです。

その結果築き上げられるものが『信頼』です。「この人は自分の意図を汲み取ってくれる。」と言う形に現れてくるのでしょう。


心を開くこと・心を覗くこと、そして心に寄り添うこと。

これらは互いを理解しようとした『結果』なのだと思います。

でも、『結果』がすべてじゃないと思うんです。この事柄に関しては特に。

何故ならその過程には、人の気持ちを知ろうとする・自分の気持ちを伝えようとする努力が存在します。

その頑張りは別の所でまた、多数の人の信頼を呼び込むことに繋がると思います。

重ねて言いますが、人は『他人に理解して欲しい』生き物です。信頼を寄せる相手から認められたら嬉しいじゃないですか。

認められると言うことは、その相手もまた、あなたを信頼している証になるのです。

22歳の若造が、人と人との繋がりに関して、語らせて頂きました。

最後までありがとうございます。誰かの心に寄り添う言葉になればと思います。

では、またの機会に。

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オサダ

様々なジャンルの記事を書いていきます。
興味がないのに読んでしまう。そんな記事を目指して。

言葉を介してあなたのもとに。言葉がなくともあなたと共に。

連絡先:osada@routecompass.net

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