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『二元論』と建築への表出 "心に留める-4-"

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さてさて、様々な書きたいことが入り混じり、3ヵ月以上放置されたこの企画。

ようやく新たな一歩を踏み出しました。お久しぶりです。

自分にも掴めていないことを書いているので、慎重なんですね。難しいんですね。

でも、伝えますよ。

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過去の記事

カテゴリ:心に留める

心に留める についての オサダ の投稿

出来れば第一回だけでも読んでからこの先をお読みください。かなりそちらの内容を包括しているので……。

読んで頂いた体で話を進めさせて頂きます。ご了承ください。

今回はどんなお話でしょうかね……。始まり始まり。

二元論の存在

『あの山は山である。』という話を、第一回でしました。

山というものを共通認識できているのは、言葉によって決められたからである。それによってその他の可能性(山が、山ではないという可能性)を排斥してしまっている、というお話でした。

山であるが、山でない。この矛盾を受け入れることが大事であると。矛盾を悪とするのは視野を狭めてしまうということですね。

さてさて、ここで中学英語レベルの質問をしたいと思います。

Is this a pen?

これに対する回答として正しいのは

Yes,it is. / No,it isn't. ですね?

これが二元論というものです。物事を『Yes/No』で分類することですね。

「あれは山ですか?」「はい。山です。(Yes)」

「これはペンですか?」「いいえ。違います。(No)」

物事を『Yes/No』で分けることは、人と人との共通認識を広げる手段としてはとても有効なものです。もちろん、学問の進歩などにも二元論は不可欠でした。しかし感性などの進歩を二元論は妨げていたかもしれないんです。

では、ここで質問です。
今、あなたの周囲は暗いですか?明るいですか?

「暗い。」「明るい。」で答えるのが二元論に当たりますね。もちろん間違ってはいないのですが、移ろいゆく現象を一つの言葉で封じ込めてしまっています。

もしも昼間の路地でこれを読んでいたら、「明るい、けど暗い。」
夜の街でこれを読んでいたら「暗い、けど明るい。」なんて言う答えが出てくるのが、二元論に支配されていない答えになるんじゃないでしょうか?

確かに暗い・明るいという言葉は反対の言葉になります。しかし同時に成り立つこともある。そんな思考も持っていただきたいのです。

二元論『ではない』とは言い切らない

ここでまたまた、仏教の美しいポイントです。

仏教では、いたずらに二元論を否定しないんです。それをすると、結局二元論に支配されてしまいますからね。

「二元論なんてありえない!(No)

世界は『一如(一つの如く)』である。と表現した仏教が、こんなこと言わないですよね。きっと。

建築に昇華させると……

さぁそれでは、第三回で宣言した通り建築に寄り添って考えてみようと思います。

まずはこちらをご覧ください。

先日記事にした、僕が作った設計物ですね。こちらからどうぞ。

設計出題プログラムを使って設計してみた ~住宅1コンセプト決定編~
少し前に紹介させていただきました、僕が作成した『短期設計出題プログラム』 機能としては欠陥まみれですが、今回それを使って、実際に設計を...
設計出題プログラムを使って設計してみた ~住宅1完成編~
前回の続きになりますので、こちらを先にご覧ください。 さぁ頑張って完成させるぞ!! 前回のまとめ ...

一応、屋上庭園になっています。完成度は低いですが……。

さぁこの屋上庭園、『外』か『内』か。どちらだと言えるでしょうか?

雨は降る。太陽が射す。風も通る。(外的な思考)
他人は入れない。自由に物が置ける。(内的な思考)

恐らく、外か内を『環境』で決める人は、この屋上は外になるでしょう。

逆に『他人との関わり』と言った面で決める人からしたら、限りなく内であると言えると思います。

では次に、はどうなるでしょうか?

他人の目線を感じたり、路上の人と会話ができる分、屋上庭園よりも外な空間であると言えるでしょう。

それでも誰かが勝手にものを置いていい空間ではありませんよね。そういった意味では内なる空間……。

つまり屋上や庭は、外部でもあり内部でもあるということになりますよね。そういった思考を持っていただきたかったのです。

こう言ったように、建築の空間という物は、周囲の状況居住者の心理状況によって、外部や内部、公共空間か私的空間などなど。その空間の意味合いを移ろわせているのです。

これは「屋上は、屋上(=外部)である。」と決めつけてしまっては見つけることが出来なかったものですね。矛盾を認める余裕があったからこそ見つけることが出来たものなのです。

これは、空間だけでなく要素でも同じことが言えますよね。

例えば、壁に取り付けられた板のような、棚のような何か

棚になったり腰掛になったり、荷物置きになったり、いろいろ用途が生まれそうですよね?

外部である!内部である!とか、棚である!椅子である!と言うような限定をしない。そんなデザインを追求していきたいと思っているんですがね。

如何せん難しいです。なんならこの矛盾に一番囚われているのは僕かもしれないですね……。

まとめ

さて、実は少し話したい部分からズレてしまいましたが、二元論というところは話したかったところなので、良しとしますか。

次回は、そうだなぁ。そういった二元論がどのように自分たちの前に現れているのか。そんな記事になるかなぁ。

次は何ヵ月空いてしまうかなぁ……?早いうちにお届けしますね。

それでは。また次の機会に……。

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オサダ

様々なジャンルの記事を書いていきます。
興味がないのに読んでしまう。そんな記事を目指して。

言葉を介してあなたのもとに。言葉がなくともあなたと共に。

連絡先:osada@routecompass.net

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