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絶対的正義

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ここ最近は何かを紹介する記事が多かったので、今回の記事は私が今思っていることをそのまま書こうと思います。お時間があるときにさらっと目を通す程度に読んでいただけたら幸いです。

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正義とは

(前置き)

「正義を語る奴にろくな奴はいない」という意見も多くありますし、なんなら私はその意見にどちらかと言えば同調気味なところもあるので、このタイトルを見て記事を読む気を失った人もいるでしょう。(まぁもっとも、そういった人の多くはここの文も読んでいないのでしょうが(笑)) 少しこらえて最後まで読んでいただけたら、恥ずかしいながらも書き上げた甲斐がありますので、是非よろしくお願いします。

正義とは…………

Wikipediaより

調べてみたものの結局なんだかわかりませんでした(笑) ただ、ひとつ言えることは、正義には様々な定義がありそうだということです。

「正義とは倫理、合理性、法律、自然法、宗教、公正などにもとづく道徳的な正しさに関する概念」(Wikipediaより)という定義づけから考えれば、正義というのは、国や宗教などが違えばその定義も変わりうるということです。

すなわち、正義には個人差が生じうると言い換えることができるのではないでしょうか。つまり、個人個人の正義がきっとあるということになるはずです。

そしてこのタイミングで私はひとつの疑問を抱くのでした。

「人々は自分の正義を持っているのか?」

相対的正義

私はこの自分の問いかけに自分でこのように答えました。

「人は自分の正義を持たず、社会で正義とされている正義を自分の中での正義とするようにしている」

つまり、多くの人は人々が良いというものを良いと定義しているということです。

それは、現代の世の中の多くの場面から感じ取ることができます。

身近なところでいうと、進学校の教育姿勢などがそれにあたるのではないでしょうか。勉強ができて偏差値の高い大学にいくことを良いこととする進学校において、「はじめは進学するつもりで入学したけどやっぱり就職したい」という生徒は、自分の進みたい道を選ぶという点においては普通に進学する生徒と変わりないのに、受ける扱いに大きな違いがあるのです。進学する生徒には手厚いフォローが施され、そうでない生徒はいいかげんにあしらわれるのです。まるで進学しないことが「悪」であるかのように。

もっと高い次元の話で言えば法律の存在も同様だと考えられます。多くの人によって選挙で選ばれた議員が作った法律が、その国の正しい基準として位置付けられています。しかし、選挙で当選しなかった議員に投票した人は、票を入れなかった人たちが決めた法律に納得していないとしても、多くの人が選んだ議員によって決められた法律に従わなくてはいけないのです。

今の世の中は、マジョリティが良いとすることが社会を支配し、それに従うことが正義だとしているように私の目には映るのでした。マイノリティの感情や慣習、行動ははたして「悪(=正義の対)」なのでしょうか。

絶対的正義と共存していく社会

相対的正義は「多くの人」の切り取り方によって、その定義がかわるものだと私は考えます。東京ではおせっかいとされるおこないも大阪では親切なおこないとして捉えられることがあります。また、男女平等に仕事のチャンスがあることが良い、すなわち個人の自由選択が善とされるこの頃ですが、昔は女は外で稼いでくる男のため、男は家庭で頑張る女のために、すなわち夫婦がお互いのために活動することが善とされていました。

場所や時間によって相対的正義は変化するということがわかっていただけたのではないでしょうか。私はこの変化に何度も困らされてきました。家庭では良いとされていたことが学校では悪だったという経験をどれだけ味わったことでしょうか……

一方、絶対的正義は基本的には変わることはありません。もし、自分が正しいと思うことが自分の中で変化していったとしても自分の認知する範囲での変化なので、相対的正義の変化のような困惑は発生しないです。自分の信じる正義に従って、迷うことなく行動できるのです。

だからといって、自分が正しいと思うことをやり続けることが社会にとって、はたまた個人にとって良いことなのでしょうか? 私はそうは思いません。もし、嫌いな奴がいたら殺すことを正義だと思う人が嫌いな奴を殺し続けたら、間違いなく社会は崩壊します。そしてその個人もやがては社会から嫌われて身を亡ぼすことになるでしょう。ヒトラーのユダヤ人迫害からの自殺の流れは、これによく似ている気がします。

それゆえ、絶対的正義は、自分で保持しつつ、他人の絶対的正義に耳を傾け、それを寛容に受け入れる必要があると思うのです。絶対的正義を持っているのは自分だけではないのですから。

まとめ

近頃、世界は排外主義の色が強くなっているように思われます。そんな現代に生きている今こそ、もう一度自分の正義を見つめ直して欲しいと思うのです。「周りがそう言うから」「そういう人が多いから」といったような調子で、相対的正義をまるで自分の正義として捉えてしまってはいませんか。

自分の周りの正義(相対的正義)ではなく自分の正義「絶対的正義」を改めて考えて欲しいです。それと同時に、70億以上存在する絶対的正義にも理解を示し、それを行動に移していきたいものです。

相対的正義はマジョリティとマイノリティという正義の二分化が起こります。哲学者ベンサムが唱えた「最大多数の最大幸福」を謳う功利主義に則っていえば、マイノリティの正義は悪で、マジョリティの正義が善という構図ができあがってしまうのです。

しかし、絶対的正義は無数に存在し、そのどれもが数的優劣が存在しません。全人類が平等に自分の正義を主張できるのです。それを全人類が寛容に受け入れることができれば、誰もが自分の幸せを追求することができるのではないでしょうか。

「個性を存分に発揮し、多様性を受け入れる」これが今の私が考える、私の絶対的正義です。

最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。

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アリイズミ

職業:大学生(4年生)

趣味:テニス,ドライブ,旅行,ディズニー

座右の銘:「人生にドラマを」,「過去を糧に、未来を夢見て、今にときめけ」,「童心忘るべからず」


連絡先:ariizumi@routecompass.net

Twitter:@compassariizumi

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