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「童心忘るべからず」

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童心忘るべからず

これは私の座右の銘です。「熱い心と冷たい頭を持て」(緒方貞子)、「現状維持は後退である」(ウォルトディズニー)、「敵に塩を送る」(上杉謙信)などなど、私には人生の参考にしている言葉がたくさんあります。

さて、リピーターの読者はお気づきかもしれませんが、以前も同様のはじまり方で、私の座右の銘をご紹介させていただきました。

↓↓↓以前の記事↓↓↓↓

人生にドラマを
「人生にドラマを」 これは私の座右の銘です。「熱い心と冷たい頭を持て」(緒方貞子)、「現状維持は後退である」(ウォルトディ...

「過去を糧に、未来を夢見て、今にときめけ」
「過去を糧に、未来を夢見て、今にときめけ」 これは私の座右の銘です。「熱い心と冷たい頭を持て」(緒方貞子)、「現状維持は後退である」(...

しかし、以前の座右の銘と今回の座右の銘は異なります。これは単純に、私が大切にしている言葉が複数あったからというだけでの理由です。(欲張りですねww)

それでは、ご紹介させていただきます。

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初心忘るべからず?

「誤字かな?」なんて思った方もいるかもしれませんね(笑)......でも、「童心」でいいんです!

子供の頃の心を大人になっても忘れてはいけない、と私は考えていて、「童心忘るべからず」はまさにそのことを指している言葉です。

では、具体的にどういった心が子供の頃の心なのかということを考えていきたいと思います。

飽くなき探究心

子供の口癖は「なんで?」だという話はよく聞くものです。忙しいときにも遠慮なく何度も「なんで?」と聞いてくる子供に頭を悩ます母親も少なからずいるでしょう(笑)

ただ、この「なんで?」というのは大人になっても欠かすことのできない思考だと私は考えています。それは、全ての現象や行動、言動などには何かしらの意味があって、その意味を理解してこそ、人生の効率的な時間の使い方や情報の有益性の増加などといった「進化」を手にすることができると思うからです。

「みんながそうだから」「いつもそうだから」「常識だから」......思考を伴わない、経験だけから生まれる行為や発言は、大きな無駄を内包しているかもしれません。また、「そういう現象だから」という考え方がある限り、科学の進歩はなかったと言えるでしょう。「夕陽はなんで赤いのか?」こういった探究心が人間に知恵や知識をもたらしてくれるのだと思います。

大人の世界では、行動のPDCAサイクル(Plan Do Check Act)だと、世間一般的に言われていますが、このPDCAサイクルの根幹にあるのが「なんで?」なのだと思います。もっとも重要なCheck(反省)のタイミングで、「なんでそうなったのか」ということを考えるから、その次の行動が一歩進んだものになるのでしょう。

大人になるとやることが多くなり、一つ一つの行動や現象に対して思考を働かせる時間があまりなくなってしまいます。しかし、長い人生で見たときに、より効率よく時間を有効活用していきたいのなら、目先の時間のあるなしよりも、「なんで?」という思考による無駄の削除や行動の効率化を図っていったほうが、有効なのではないでしょうか?

素直な心

大人になると簡単に開き直ったり、このくらいの悪事だったらみんなやってるからいいや、などという感情が生まれるものです。私もその傾向がある人間の一人でした。

しかし、子供の頃を思い出してください。誰かに負ければ"素直に"悔しいし、正しいと教わったことは"素直に"行動に反映していたと思います。

たしかに無垢で何もわからず、なんでもかんでも鵜呑みにしてしまう子供と同じように、なんでも100%素直に物事を受け止めてしまうのは危険かもしれません。

しかし、子供の頃に教わった理想的な姿や素敵な社会はありえないのだというひねくれた思いを持つよりも、素直な心を持って正しいと思う行動を選択する方が、とても貴重で尊いものだと私は考えています。

夢見る心

大人になるといろいろな社会を知り、先のことを予測して、夢の実現の可否について検討するようになるでしょう。そして、時には実現不可能だという夢については考えないようにすることで、自分自身を守ろうとする人もきっといることでしょう。

私も同じです。どうやっても叶わない思いや形にすることができない夢があるので、どうしてもそういった夢からは目をそらしてしまいがちです。

しかし、子供の頃はどうだったでしょうか?きっと、簡単には諦めなかったでしょうし、もっと楽観的にそして肯定的に夢を頭の中いっぱいに膨らませていたと思います。私は実際にそうでした。

きっと、夢を膨らませていられたのは無垢だった、無知だったということが大きな影響を与えているでしょう。また、これからの長い人生、まだまだ時間があるというゆとりから生まれる楽観的な姿勢というものもあるでしょう。

しかし、今大人になって思うのです。「夢を叶える人間は夢を見ていた人間だけだ」と。

夢を叶えることの楽しさや素晴らしさはおそらくみんな知っていることです。食べたいものを食べられたときの幸福感などはまさにそれでしょう。そして同様に、夢を叶えられないつらさもきっとみんな知っていることなのでしょう。買いたいものが買えないときの悔しさはとてもつらいものがあります。

夢を見なくなる理由の多くは、叶わない夢を見て、夢を叶えられないつらさを味わうのが怖いからなのだと思います。しかし、さきほどお話したように、夢を叶えて幸せな感覚を手にすることができるのは、夢を見ていたからこそなのだと思います。

どうせ未来のことなんて誰にもわからないのです。未来は可変的な存在だからです。そう考えたときに、夢を見ないで何も得ない(0)、あるいは、夢を殺したという切なさを持ったまま生きる(-)のと、時に叶わない夢に直面してしまう(-)けど、夢見ていた夢を叶えて幸せを得る可能性がある(+)のだったら、後者の人生の方が良さそうに思いませんか?

これは今までの話の中でも突出して個人的な意見なのですが、大きな幸せがひとつあれば、どれだけ不幸せなことがあっても、自分は幸せだと感じられるものだと私は考えています。少なくとも、約20年間の私の人生の中ではそう感じることが多かったです。

そして、夢を叶えるということはとってもとっても大きな幸せであると思います。

童心に戻って、夢を見てみませんか?

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アリイズミ

職業:大学生(4年生)

趣味:テニス,ドライブ,旅行,ディズニー

座右の銘:「人生にドラマを」,「過去を糧に、未来を夢見て、今にときめけ」,「童心忘るべからず」


連絡先:ariizumi@routecompass.net

Twitter:@compassariizumi

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