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『僕』と『あなた』 "心に留める -1-"

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さて、このブログが始まり1ヶ月が経ちました。早いものですね。

そろそろ、僕が初めの挨拶で伝えたいと言っていた、仏教から始まり建築の世界に、さらには人生に関わるお話をしていこうと思います。

初めまして。by4人目
皆さん初めまして。 僕たちコンパスのブログにお越し頂き、ありがとうございます。 1回目の投稿ということで堅苦しい言い回しが多くなりますが...

恐らく何回かに分けますが、長いお話になると思います。

また、毎回小さくまとめ、しばらく間を空けてお伝えしていく形を取りたいと思います。

何週も皆さんの気を引けるほど、自分の人間性や実力を持っていないものですので。

アリイズミの考える言葉の力と僕の考える言葉の業は相反するところもあるかもしれないので、そのうち2人で議論しようかな。

それと注意点ですが、僕は仏教徒ではありません。そのため理解したつもりでも全く誤った解釈をしてる可能性もあります。その際はご容赦いただくと共に、訂正をいただければ幸いです。

※10/2 ページ下部に第2回記事を挿入しました。

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出会い

まず、その思想との出会いを。

半年ほど前、建築設計に行き詰まりやる気を失い、このままではまずいと、モチベーションの上がる言葉を検索していました。

最初は芸能人やスポーツ選手の言葉を見ていました。なるほどとは思いつつも今の自分の感情にハマってくる言葉はなかなか無い。

もはや範囲を狭めて建築家の言葉を探してみようと、思い立ち、調べていると、建築家:前田紀貞氏の名前が出てきました。

仏教の教えを学び、自分の建築に昇華する姿を知り、強い感銘を受けました。自分もこの考えを心に留めて、建築に、そして人生に向かい合いたいと。

さて……

それでは本題に行きましょうか。

小難しく、長い話になるのでゆっくり読んでみてください。

最初に……。

さて、皆さん。ここで質問です。

まず『僕(オサダ)』=『あなた(読者のあなたです)』。これが成り立つと思いますか?

小手先で「こんなことを言うならきっと成り立つだろう!」などを排除して、素直に自分の心で考えてください。

まぁ成り立ちませんよね。そうでしょうとも。では……

次の質問。

あなたは朝起きて1日いつものように生活し、夜眠り、また朝起きました。

さぁ1日経った時、あなたは何%「昨日のあなた」だと思いますか?

「俺は俺だ!100%!!」「忘れっぽくて記憶が無くなってるし、90%くらいかな?」などの意見色んなが出たら面白いですね。

さてそれでは、それが10年だったらどうでしょう?

「そこまで経つと…考え方も変わってるし…80%とか?」「記憶的にはかなり変わってそう、50%!」などですかね?

別の視点で見てみよう。

この質問を、記憶や精神的なものでなく物質的に捉えると、10年経った後の『僕』はほとんど『僕』でないと言えるほど、0%だと言えるほど物質の交換は行われています。

ではその『十年前の僕』を構成していた物質はどこへ?

例えば汗となって抜け出た物質は蒸発し、雲になり、やがて雨として地上に降り、別の生き物の中に入ります。それが穀物だったとしましょう。

その穀物は家畜を育てる飼料となり、やがてその肉が人の口に運ばれます。そしてまた排泄、蒸発などを繰り返します。

この時、僕だった物質は雲になり、雲だった物質は雨になり…………、物質的に見てみると『僕』=『雲』=『雨』=『穀物』=『家畜』=『僕ではない別の人(あなた)』という、一見ヘンテコな式が出来上がりました。しかしこれ、全然ヘンテコではないんです。

『僕』を構成する物質も『僕ではない別の人(あなた)』を構成する物質も、『雨』も『家畜』も、ほとんどが同じような物質・原子で構成されています。世界の原子の流れの中で、一時的に原子が集まってできているのが『僕』であり『あなた』であり、『雨』『穀物』『家畜』なわけです。

どうです。ここまでなんとなく理解しているでしょうか。続けますね。

『僕』=『あなた』であること

最初の質問に戻ってみましょう。

『僕』=『あなた』は成り立つか。

仏教的には、世界とは「一如(いちにょ・ひとつのごとく)である。」と表現されるそうです。世界は、一つである。という見方ですね。

「世界は一枚布である。」という表現もあるそうです。僕たちは大きい一枚の布の中の一部に過ぎないと。

この考え方、ありふれている様で結構理解しがたいんです。だって今あなたが見ているスマホ・PCも、座っている床も、寝ている枕も、森の木々も、海の生物も、「すべてが一つである」という考え方。それぞれが個としてで成り立っているのではなく、繋がっている。という考え方。難しいですよね。

でも、少し考えると納得がいきます。例えば『雲』が『雨』になる変化を拒んだら、すなわち『雲』≠『雨』であったなら。雨は降らず、地球は渇き、世界が終わると見ていいでしょう。

しかし物質は次のものに移ろいます。だからこそ世界は回り、その世界は一つに繋がって見えるわけなんです。

これが、『僕』=『あなた』という式の原点なわけですね。

どうでしょう。このイコールについては、多少は納得いったでしょうか。

ゆっくりでいいですよ。もう少しだけお話しします。

『僕』≠『あなた』であること

『僕』=『あなた』を理解して、少し考えに余裕が持ててきました。それではここで一言。

『僕』と『あなた』は別の人間ですよね?

「どっちなんだよ!イコールなのかイコールじゃないのか!!!」怒ってくれて問題ありませんよ。

そうなんです。どちらでもあるのです。

僕とあなたは別の思考を持ち、別の行動をし、別の場所で過ごしています。つまり『僕』と『あなた』、『雲』や『雨』までも、『別の個物である』ことも忘れてはならないのです。

『僕』=『あなた』であり、『僕』≠『あなた』でもあるんです。この矛盾を受け入れる心と視野が必要である。と仏教は教えているのです。

数学や算数を学ぶと、受け入れがたくなるこの式。いかがでしょう。あなたの中にどれだけ浸透しそうでしょうか。

言葉

さて、今回最後の例えです。僕が今、「あの山はなに?」と問います。

あなたは『山』が容易に想像できます。なぜなら"言葉"によって、『山-yama-』という"記号"が、大地が隆起しているあの『山』であるという共通認識が生まれているからです。

これが"言葉"の力であることは、紛れもない事実です。しかし同時に

『我々が山だと言い張るあの物質の多くの可能性』を削ぎ落しているのも紛れもない事実なんです。

ある人には『紅葉の塊』に。ある人には『大きな岩』。『神の社』や『神そのもの』に見える人もいるかもしれないということです。

『あれ』は『山』であるが『山』でないナニカという考えは、物事を多角的に見ることの近道であり、常に心に留めておくべきものなのです。

『山』である!という決めつけはあなたの目を曇らせているのです。

「世界は一如である。」

改めてこの言葉を見ると、真に美しい所が見えてきます。

「世界は一つである。」とは言い切らず、「世界は一如(一つの如く)である。」と言っているところです。

世界という絶対的な存在であっても「世界は一つである。」と決めつけることはせず、如く、という"曖昧な表現"を使い、視野を狭めることを許さなかったのです。

(本文中では伝わりやすくするため「一つである。」という表現を用いました。二転三転してすみません……。)

まとめ

さて、長い話になりましたがいかがだったでしょうか。

納得がいくところもあれば、そうでもないかもしれませんね。

また3周後(僕たちのブログは1周が4日なので12日後)を目安に、続きとなる話を投下したいと思います。

長々とありがとうございました。

参考:前田紀貞建築事務所HP

第2回はこちらから。

『言葉』の力"心に留める-2-"
シリーズ化しようとしているこのコーナー。第2回です。 今回は前回の続き、ではなく、『言葉』と言うもの単体について、深く考察して行きたいと思...
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オサダ

様々なジャンルの記事を書いていきます。
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