『言葉』の力”心に留める-2-“

シリーズ化しようとしているこのコーナー。第2回です。

今回は前回の続き、ではなく、『言葉』と言うもの単体について、深く考察して行きたいと思います。

前回のスピンオフ的な感じで、別視点からの考えになるので、皆さんも多角的な視点を持って読んで頂けたら幸いです。

前回の『言葉』の考察

前回の最後の方で、仏教系の視点から見た際、「言葉は人々から多角的な視点を奪うもの。」と言うような表現をしました。

『山』は山でしかなく、『雲』は雲でしかない。限定的で独立的な記号、それが言葉である。と。

よって、『山』は山ではあるが、山でもない。こういった考え方が多角的であるとお話ししました。

正直、「君は何を言っているんですか?」となりそうなお話でしたね。いやはや申し訳有りません。

よって今日は、もっと皆さんの生活に寄り添う『言葉』の力を、自分の言葉と考え方で伝えていきます。

オサダ自身の考えが強く反映されていますので、僕個人を知ってもらうのにもぴったりかなぁ。

オサダの考える『言葉』

たとえば……

皆さんの人生の中で「この人はほんとに合わないなぁ、苦手だ……。」とか、「申し訳ないけど、この人は嫌いだ。」ってなった経験、ありますかね?

もちろん、誇れたことではないですが、僕にもあります。そういう経験。

さて、皆さん。その時どういった対応を取りましたか?

  1. 関わらないようにした。
  2. 嫌々ではあるが話を合わせて、苦手であることを表に出さないようにした。
  3. 友人たちとその人への愚痴を話し合った。
  4. 本人に直接、苦手であることを伝えた。

まぁ、いろいろな対応がありますよね。どれが正解だなんて僕には言えないですね。

でも世間的には、2と3の光景がよく見られ、4が一番潔い、そんな感じがしますね。

さて、話は少し変わります。

「お前は誰だ。」という実験をご存知でしょうか。

鏡に映った自分自身に「お前は誰だ。」と問いかけ続けると自我が崩壊して精神に重いダメージを与えると言う、心理学的な恐ろしい実験です。

いろいろなサイトでやり方や実験映像があったりして、「行う際は自己責任でお願いします。」なんて書かれていますが、絶対に真似しない方がいい実験です。

なぜこんな話をしたか。この実験が『言葉の力』を示しているからです。

普通に考えて、鏡に映っているのは自分自身。子供の頃からなんとなく分かっている理であるでしょう。

それを”自分が自分じゃなくなった”と思い込ませる程の力が、言葉にはあるということになるんです。恐ろしいですね……。

日常に話を置き換えましょう。

先程の「苦手な人がいたら。」の話に戻します。

言葉の力を考えると、『愚痴』というものは本当に恐ろしいものです。

A,B,C,D君のグループがあるとします。A君とB君は仲良し。しかしC君とD君は、A君のことが気に入らないとしましょう。

A君のいないところで、こんな会話。

  • C君「Aって○○な所が腹立つよなー。」
  • D君「分かるわー。なんとかならないのかねー。Bもそう思うでしょ。」
  • B君「(そんなこと無いと思うけどなぁ)うん。そうだよね。」

うーん。まぁあまり気持ちいい会話ではないですね。この結果どうなるか。

  • A君「Bどうした?今日元気なくない?」
  • B君「いや、別に……。(なんか、CとDの言った通りな気がしてきた……)」

あらあら、B君までA君の悪いところが見えてきてしまったようです。こんな光景、きっと世界でたくさん行われているでしょう。

僕が一番注目してほしいのは『CとDの言った通りな気がしてきた』の部分です。

この時B君は、もしかしたらA君の悪い部分と言うものに気付いてないのかもしれないのです。C君とD君の言葉に、さらには自分の同意の言葉に”思い込まされている”可能性もあるのです。

実際に自分が「こいつは○○なところがあるよな。」と、気付いたことであれば、それはその人の本質かもしれません。しかし、何かの弾みで出た言葉に思い込まされた事象は、本質であると言えないのではないでしょうか。

まとめて行きますよ

極論ではありますが……

人を嫌いになるにはどうすればいいと思いますか?

はい。これまでの話をまとめると『言葉にする』ことが、一番簡単ですぐに変化が起こる方法だと思っています。事あるごとに「あいつのこと嫌いだ。ほんとに嫌い。」と呟くだけで簡単に嫌いになれると思います。

なにかを『言葉にする』と、心への影響は、ただ『思い込む』時の3倍くらいはあると考えています。

試したわけではないですが、中学の頃、友人に対してそれを言葉にして、必要以上に嫌いになった記憶がありますね。1週間やそこらで仲直りした気がしますが、あの時は心が荒んだような……。

しかしこれもまた、強い思い込みであるのです。

どんなに仲がいい友達でも、一日2回くらい「嫌いだ。」と口にするだけで、2週間ほどで険悪になると思っています。そこに本当に嫌いである気持ちが無くても、あとから気持ちは付いてきてしまうと思います。

それって喋ることを否定してない?

いえいえそんなことありません!!伝えるということは非常にいい事です。

僕が言いたいのは、『思ってもない事を言うことは危険である』ということなんです。

それがいい言葉でも悪い言葉でも、繰り返し発言することで心はそれに準じようとするのだと思います。

「嫌いだ。」と言えば嫌おうとし、「好きだ。」と言えば好こうとし、「自分はダメな人だ。」と言えば自信を失い、「自分はまだまだやれる。」と言えば踏ん張り……。

それを人に伝えると、さらに大変です。その人までその言葉に準じようとするのです。怖いですよね。

つまり大事なのは『思ったことを伝える』こと。心に準じた言葉が溢れること。

言葉が心を引っ張ってはいけません。いつどんな時も、心で考え、思ったことが言葉を連れてくる、と言う感覚が、他人や自分を幸せにするんだと、僕は信じています。

最後に。

言葉は人と人を繋ぐ、最も手軽で複雑なツールです。

手軽だからこそ簡単に人にぶつけることができ、複雑だからこそ思わぬところで人を傷つけます。

そしてスッと出てきた言葉一つで、その人の性格や未来、様々なものを変えてしまいます。それは悪いことだけではなく、いい方向にも。

普段の言葉の遣い方、どうですか?間違った遣い方しちゃってませんか?

長くなりましたが、言葉の力、皆さんも実感してみましょうね。もちろんいい方向の言葉で。

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オサダ

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